9862レ甲種輸送(後追い) EF652087牽引大雄山5504F(黄色)出場車 22−11−16 白糸川橋梁 |
9865レ甲種輸送 EF652096+コキ×3+大雄山5504F(黄色) 22−11−17 鴨宮 |
小田原構内入れ換え |
コデ165+5504F(黄色)出場車輸送(後追い) 塚原ー和田河原 |
大雄山入場予定車輸送 コデ165+5505F(ミントグリーン) 23−1−16 和田河原ー塚原 |
本日の小田原構内入れ替え作業車は5501F赤電 |
9867レ 甲種輸送(後部) EF652127+コキ×3+5505F 湯河原待避 |
9867レ熱海通過 |
8521レ DE101514+DE101531牽引DLやまぐち号 23−3−18 山口線地福 |
8521レ DE101514+DE101531牽引DLやまぐち号 23−3−19 長門峡ー渡川(長門峡阿武川第一橋梁) |
8521レ 地福 |
8521レ(後追い) 津和野ー船平山(津和野築堤カーブ) |
8522レ DE101531+DE101514牽引DLやまぐち号 |
8522レ 篠目発車 |
DE101514+DE101531牽引DLやまぐち号 23−3−19 1:8521レ 長門峡ー渡川(長門峡阿武川第一橋梁) 2:8521レ 地福 3:8521レ(後追い) 津和野ー船平山(津和野築堤カーブ) 4:8522レ 5:8522レ 篠目発車 |
8521レ DE101514+DE101531牽引DLやまぐち号 23−3−20 宮野ー仁保(大山第一踏切付近) |
8521レ 長門峡ー渡川(長門峡阿武川第一橋梁) |
8521レ 徳佐ー船平山 |
2541D キハ×2 津和野ー船平山(本門前踏切下付近) |
8522レ DE101531+DE101514牽引DLやまぐち号 |
DE101514+DE101531牽引DLやまぐち号 23−3−20 1:8521レ 宮野ー仁保(大山第一踏切付近) 2:8521レ 長門峡ー渡川(長門峡阿武川第一橋梁) 3:8521レ 徳佐ー船平山(徳佐Sカーブ) 4:8522レ 津和野ー船平山(本門前踏切下付近) |
9862レ甲種輸送(後追い) EF652092牽引大雄山5505F(ミント)出場車 23−3−29 白糸川橋梁 |
出場車出迎え回送 コデ165小田原到着 23−3−30 10:26 |
9865レ甲種輸送 EF652060+コキ×3+大雄山5505F(ミント)出場車 鴨宮 10:47 |
小田原構内入換え作業 5505F(ミント)引き渡し 11:05 |
入換え作業終了出発待期 11:09 |
コデ165+5505F(ミント)出場車輸送(後追い) 穴部ー飯田岡 11:52 |
【3月18日 大雄山線ダイヤ改正と入出場がらみの列車変更点】 大雄山線ははるか昔から(早朝深夜を除き)12分毎の完全ネットダイヤで運行されてきたが、 今回の改正で日中10時から15時までは15分毎となった。 (小田原00・15・30・45分発、大雄山02・17・32・47分発) これに伴いこの時間帯の小田原〜大雄山の所要時間は21分から3分延びて24分となった。 これまで5編成を使用し小田原では1番線2番線交互発着で小田原の各編成停車時間は13分間であった。 今回初めて導入された15分毎時間帯では、理論的(物理的)には、小田原で1本を留置して 小田原到着後4分でそのまま折り返せば4編成で運用を廻すことは可能ではあるが、実際には 15分毎時間帯も従来通り5編成使用の交互発着となっている。この時間帯では小田原19分間の停車となった。 又、私がもう一つ気付いた点は、前日夜からの小田原1番線停泊編成が従来6:36発から運用開始していた ものが、改正後は1本早い6:24発として運用開始となっている。これにより10時までの各列車発着番線が 1番線2番線従来とは逆になっている。 さて入出場列車が走る日は、この15分毎時間帯に一連の作業・運休が発生する。 小田原構内入換え作業に使用できる時間は従来、営業列車10:59着から11:12発までの13分間で あったが、特に入場の場合に営業列車運転再開の11:12発に時々2〜3分の遅れが生じる事があった。 これは、出場の時は入換え車両の前進後退の動きが構内2往復分なのに対し、入場の場合は入場予定車のコデとは 反対側に営業用車5000を連結しての作業で3往復分の動きが必要で、これを13分間で済ませるのがかなり タイトであった為である。しかしダイヤ改正後の15分毎時間帯では、営業列車10:56着から11:15発 までの19分間を入換えに使用でき、運転再開遅れは解消される事となった。 臨時事業列車・運休列車について具体的には、上りは大雄山発臨時事業列車が従来10:26発を運休にしての 出発で、10:38発の営業列車1本の後の10:50発が単純運休となっていたが、改正後は大雄山発 臨時事業列車が10:02発を運休にしての出発でかなり早まり、そのあと10:17発と10:32発の 2本の営業列車の後の10:47発が単純運休となって運用パターンが変更となっている。 下りは小田原11:00発が運休でそのあと2本の営業列車が出発した後、臨時事業列車が大雄山に向けて 出発して行くのは同じであるが、その発車時刻が11:36発から11:45発に変わっている。 これによってコデの小田原駅停車時間が従来の10:47着から11:36発までの49分間だったのに対し、 改正後は10:26着から11:45発までの1時間19分間と大幅に長くなっている。 |
76レ 5501F赤電 和田河原ー塚原 |
73レ 5504F(イエロー) |
【仙石線野蒜付近 東日本大震災によるルート変更と絡む 震災遙か以前の鳴瀬川橋梁架け替えによる旧々線】 |
2011年3月の東日本大震災による鉄道被害の1路線である仙石線は陸前大塚〜陸前小野の西側 半分強が内陸の高い位置にルート変更されたが、旧野蒜駅が遺構として残されているのはよく知られている。 23−4−23撮影 鉄道趣味の人でも現役時この駅に来た人はほとんどいないと思うが、私は震災遙か前にこの野蒜駅に降り立った 事がある。2000年12月のことであったが、目的は陸前小野との間にある鳴瀬川橋梁の架け替えとその アプローチ部分の付け替えであり、当時私は廃線未成線巡りと日本の鉄道全線往復完乗(達成は2009年)に 意欲的だった頃で、長大なデッキガーダーの解体現場視察とルート変更の再乗りつぶしに来たのである。 実はこの2つのルート変更が絡み合っていて新線・旧線・旧々線が存在する。 |
@ 陸前小野方から見た分岐点。右が旧橋梁へのアプローチ跡で左が新橋梁へ続く。 00−12−1 |
A 鳴瀬川の陸前小野方の橋台 00−12−1 |
B 陸前小野方から見た長大なデッキガーダー橋梁解体中 00−12−1 |
C 吉田川の橋梁は別に架けられていた 00−12−1 |
D 上記写真の後ろ側の左へカーブする旧々線 00−12−1 |
E 画面左上から右下へ続く旧々線跡から分岐する新橋梁へのアプローチ部 00−12−1 この写真に写っている付近のアプローチカーブは2000年6月使用開始からわずか15年ほどで 新線切り替えにより姿を消すことになる |
F 2000年6月から使用された新橋梁は鳴瀬川と吉田川を一体で跨ぐ。 仙台行き列車前面に立つと高台へと続く白く真新しい新線が見える。 23−4−23 |
G 仙台行き列車の左側車窓にはサイクリングロードになった旧線跡が見える 23−4−23 |
【城端線 転車台跡 など】 以前、「撮影行今昔−2」ページにも掲載したが、城端線には特別な思いがある。機芸出版社発行 「レイアウトテクニック」の雲竜寺鉄道祖山線製作記でプロトタイプになったのが終着の城端駅である。 北陸旅行でまた乗ってきたが、初めて訪れたのは77年夏、46年も前の事である。 |
城端駅は「常花」をイメージし小綺麗な姿となっている。 23−5−16 |
「撮影行今昔−2」ページで、95年に行った際、「転車台は今では埋められていて僅かに痕跡が 残るのみである」と書いたが、実は埋められてはなく、草が長く密集していて埋められた様に見えた事が解った。 今回は中の草が綺麗に刈られてはっきりと転車台の跡が見て取れ回転用レールも一部残されていた。 快晴の空と相まって美しくさえ見えた。 驚いたことにGoogle地図をみると「城端駅転車台跡」の表示がでる。 地元の有志団体が地域活性化のため整備・活動をしているもようである。 23−5−16 |
77年夏の初乗車はDE10牽引の旧客列車で城端駅では当然機廻しが行われたが その機廻し線も当時のままであった。 23−5−16 |
城端線の起点高岡駅にも勿論転車台があった。城端線ホームのすぐ横に見えた。 77−8−22 |
ここの転車台は10年ちょっと前か高岡駅橋上化工事の際埋められて、駐車場になっている。 23−5−17 |
城端線といえば福野駅の城端方に、72年廃止でサイクリングロードになっている加越能鉄道加越線跡が オーバークロスしていて同線最大の遺構となっている。 02−9−13 |