79年 余 部 鉄 橋 
 79年夏、SLやまぐち号運行開始を主目的に山陽山陰方面へ出かけました。前日は余部鉄橋と倉吉線をまわりました。一般的に長い鉄橋は編成写真が撮りやすい事から撮影場所として好んで選びました。当時は関西と山陰を結ぶだいせん号及び山陰と北九州を結ぶさんべ号という夜行急行がありました。さらに京都と山陰を結ぶ夜行鈍行の山陰号もあり、周遊券を使って安くかつ効率的なスケジュールが組めました。
24Dはまかぜ2号
キハ82系6連
79−7−31
2003レ出雲3号
DD51+14系8連
820レ DD51牽引
1892レ
この日、貨物の後ろには回送のキハ28が
連結されていました。
山陰地区では後藤工場の入出場などで
時折見られた編成形態のようです。
614D急行但馬4号
キハ58系7連
  724レ












下写真
511D急行三保 キハ58系4連
18Dあさしお2号 キハ82系9連
543レ DD51牽引
 余部今昔・・・列車も変れば橋も変る

2010−10−20 172D


 80年 横浜山下埠頭 C581
 80年6月、横浜商工会議所創立100周年と横浜港開港120周年を記念して、高島貨物線にC581が旧客を牽引する列車が運転されました。 運行区間は桜木町駅の隣にあった東横浜から山下埠頭までで13日から15日まで3日間走りました。久しぶりに首都圏で蒸機が走るとあって人出も警備も凄い人数でした。
  東横浜駅での歓迎看板
80−6−15
東横浜で出発待機中
牽引機のC581は前年運行を始めた
SLやまぐち号の予備機(当時)。
そのため集煙装置がついていました。
80−6−13
万国橋付近
山下埠頭からの帰りはバック運転
万国橋付近
林立する大形クレーンをバックに
万国橋より
80−6−14
沿線は人の垣根ができて撮るのも一苦労

客車は下り方から
スハフ422224+オハ462621
+オハ462620+スハフ42
2259

万国橋付近
80−6−15
横浜マリンタワーをバックに山下埠頭に到着するところ
山下埠頭にて入れ換え中
記念入場券も発行されました。

その後89年には横浜博(YES'89)にて山下公園と日本丸との間を結ぶレトロ気動車が運行されました。このときの車両は博覧会終了後、東北の三陸鉄道へ譲渡されました。

【時は流れて2000年】

C58が走った線路は廃線となり現在では
「汽車道」として綺麗に整備されている。

港1号橋梁

2000−4−25
当時のものかは分からないが汽車道には線路が敷かれている。

港2号橋梁
あたりはみなとみらい21として大型商業施設などができて大きく変貌しており当時の面影はない。
ここを貨物列車が走っていたことを知る人も少なくなってきている。

港3号橋梁


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