78年・84年 紀勢本線大内山 キハ81・82系・DF50他
  地方の撮影地について知識がほとんどない頃、鉄道雑誌に掲載されている写真やガイドは大いに役立ちました。紀勢本線大内山の大カーブを知ったのは、キネマ旬報の「蒸気機関車」No56(78年7月号)の同線東部の撮影ガイド記事でした。撮影地はいろいろ載っていましたが大内山駅近くの大カーブが大変気に入りました。これほどすっきりした長大編成向けの撮影地がある事は初めて知り、どうしてもこのカーブで、当時走っていた独特の顔つきのキハ81やDF50を撮ってみたくなりました。宇部・小野田や可部線の旧国の撮影と合わせてその年の夏休みに撮影行へ出かけました。
  (尻切れ画像ですが)
大内山大カーブを行くキハ81先頭の
1D くろしお5号。
3両目がキハ82で天王寺方に2両増結されたような編成形態が独特の9両編成。
名古屋から天王寺まで8時間以上かけて走るこの列車には食堂車が連結されていました。
78−8−20
1192レ
(大カーブにさしかかる手前)
916D 急行紀州3号
キハ58系5連
(大内山駅東方)
普通列車にはディーゼルのほかに旧客も健在。青い旅客車と茶色の荷物車を引くDF5015。
122レ 大内山駅到着
125レ DF5034+DF5058重連客レと交換
この日、125レの後ろから2両目には
マヤ34が連結されていました。
2D くろしお2号
キハ82系9連
(大カーブにさしかかる手前)
大内山駅舎・ホームに通じる庭木・転轍てこ・・・実にいい雰囲気を醸し出していました。
【6年後の再訪】

DD511041+12系800番台天リウ
84−8−31
901D 紀州1号
キハ58系8連
紀勢本線は78年10月の和歌山〜新宮間の電化完成に伴いくろしお号は系統分割され、東側は名古屋ー紀伊勝浦間を結ぶ南紀号となりました。時を同じくして2両のみ残っていたキハ81(3と5)は引退し南紀はキハ82系6連で運行され食堂車も連結されなくなりました。
1D 南紀1号
同上
4D 南紀4号
キハ82系6連
旧客は健在でしたが機関車はDD51に代わりました。
左:125レ
右:3D 南紀3号 キハ82系6連

【時は流れて2013年】

付近に民家などが立ち並ぶ事はなく大カーブは今でも見渡せる。しかし線路際には標識がいくつも建ったりパイプ状の構造物ができたりしてやや撮りにくくなった。また列車の編成が短かめになり昔ほどに魅力ある撮影地ではなくなってしまった。
特急南紀は通常4両編成だがこの日は旧盆多客期で紀伊勝浦方に2両増結され一瞬キハ81の編成形態を思わせた。しかし現代のステンレス車体は周りに溶け込んでしまい、赤とクリームの国鉄特急色のように緑の背景に列車が浮き立たない。

臨時の8001D 南紀81号
キハ85系6連
13−8−11
3003D 南紀3号
キハ85系6連
328C
(大カーブから少し梅ヶ谷方)
331C
大カーブ外側にパイプ状の構造物ができて外側から狙うと下回りにかかってしまう。
駅舎は現代によくある簡素で味気ないものになってしまった。


 78年 山陽本線瀬ノ八越え
 78年夏、紀勢本線で撮影の晩、名古屋からブルトレみずほに乗車し山陽方面に向かいました。宇部小野田・可部の旧形国電とともに欲張って山陽本線の瀬ノ八越えを撮影しました。
東の箱根、西の瀬ノ八といわれた大幹線の難所。
当時の補機は旧形電機改造のEF59。

2264レ
78−8−21瀬野ー八本松
2252レ EF60127牽引
同列車補機はEF597+EF5913
瀬野機関区にはEF59が何台も連なって待機していた。
写真中央はトップナンバーEF591

現在山陽本線上り貨物列車は、広島貨物ターミナル駅で広島車両所の補機を連結する形になっている。
今はこのあたり駐車場などになっていて当時の面影は何もない。
EF56から改造された5両のうち24号機を除く4両は丸みを帯びたスタイルであった。
写真はEF561から改造されたEF5920
EF5317から改造されたEF5916
EF534改造のEF599

機関区などの見学はどこでも一声かければ簡単に入れてもらえる時代であった。
77年からはEF59置き換え用に
EF61200番台が配置されていた。

写真はEF61204


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