当時団臨といえばEF58+12系が格好の被写体で、頻繁に見られた。

8103レ EF5888+12系×8
80−2−24 小田原
新製マニ50を配置区へ送り込みのため先頭に立つEF58。
東海道・横須賀分離前で横須賀線電車が10番線に停まっている。

8111レ
EF5894+マニ50×13
80−3−25 東京


103系しか来ないと思われている山手線に日中突如現れる17メートル旧国荷電。
K00 クモニ13005
80−3−18 有楽町
東海道線東京口の郵便荷物電車クモユニ74ははるか昔は普通電車の下り方先頭に立ち113系が15両の場合は16両編成となり白糸川を渡る姿などは見ごたえがあった。後に荷電は単独運用となり2両で走る姿がよく見られた。荷電としての用途廃止後は牽引車代用として使用されている姿をネブハヤ界隈で私はよく見かけ、また記録におさめた。

荷1032M
クモユニ74011+クモユニ74002
80−8−9 国府津


小松島線に興味を持ったのは宮脇俊三氏の時刻表2万キロがきっかけです。
本来の終点は小松島駅ですが関西方面へのフェリーの乗り継ぎの便を図って少し先まで線路が伸びていて仮乗降場が設けられていました。それが小松島港駅です。しかし小松島駅構内の扱いで、小松島ー小松島港間に営業キロは設定されていませんでした。

639D 快速
80−12−29 (臨)小松島港
フェリー乗り場と一体となった独特の雰囲気がある。
   車止め方向から見る。
露天商を営むおばさんたちが多数いる。
小松島線廃止後は現役時代の雰囲気を残したままバスのりばに変身しました。
86−8−3 (臨)小松島港駅跡
右側の本屋とホームが正式な小松島駅の跡。左のホームは正式な小松島ホームの少し手前から分岐し(臨)小松島港駅へ向かう列車のみ用のもの。その両ホームの間のスペースに側線が何本かあった。

86−8−3 小松島駅跡
小松島駅跡は小松島ステーションパークとなりC12280+オハフ50272が保存展示されているが、全体的にちょっと小綺麗すぎる感じで整備されてしまい、元の駅の面影が感じられないのが残念である。
94−5−12
自転車・遊歩道として整備された小松島線跡
94−5−12


四国の主役が顔を揃えた瞬間。

左:2D キハ181系 しおかぜ2号
中:3D キハ181系 しおかぜ3号
右:DF5020
80−12−30 多度津


知る人ぞ知る嘉穂信号所。
九州の上山田線下山田ー大隈間の途中から漆生線が分岐する地点にあった信号所。嘉穂信号所ー下山田1.7kmは重複戸籍となっていた。
81−2−27
(上山田線723D車内より)
両線とも国鉄再建法により第2次特定地方交通線に指定され、漆生線は1986年、上山田線は国鉄分割民営化後の1988年に廃線となった。
信号所跡は草に埋もれていたが、この時はまだ建物は残っていた。
92−8−1
廃線後二度目に訪れた時には信号所の痕跡はほぼ無くなっていた。
(上記写真よりやや後方から撮影。)
2010−4−24


宮脇俊三氏が九州完乗の最後に乗った室木線。DLの引く客車列車が魅力的な路線であった。
435レ 室木駅到着。
81−2−28
DE 10131機廻し中。
第1次特定地方交通線に指定され、1985年に廃線となった。
ホーム跡が残る室木駅。
94−7−27
室木駅は山陽新幹線の建設現場に近かったため1972年、駅から南方向へ新幹線室木トンネルの工事現場までレール等運搬用の専用線を建設した。その専用線が敷かれていた築堤の一部は新幹線開業後も残っていて今でも見ることができる。
2000−5−15



昔、書店で鉄道の本を立ち読みしていた時知った、川面からの高さが105メートルで日本一高い
高千穂線高千穂鉄橋
825D 深角ー天岩戸  81−3−5
高千穂線は2005年の台風14号による被害で運行休止となり、2008年暮に廃止となったが、高千穂鉄橋は現在も健在である。
高千穂駅からあまてらす鉄道が運行するスーパーカートに乗れば鉄橋上まで行くことができる。
2009−9−4


創価学会専用団体臨時列車(創臨)がよく運転され、ゴハチの牽く客レと富士山のコラボが有名であった身延線竪堀付近。
8346レ EF58+12系×6
81−3−8
626M 旧国4連
身延線名物と言われたクモハユニ44。
モハユニ44の名で横須賀線用に製造された車両で1956年身延線転出にあたり低屋根化され、さらに1959年の称号規定改正によりクモハユニ44800番台となった。形式記号を言い換えれば郵便荷物合造制御電動普通車となる。身延線に4両が在籍した。

633M クモハユニ44800
(←クモハユニ44001)
81−5−10 入山瀬
635M クモハユニ44801
(←クモハユニ44002)
81−5−10 富士
633M クモハユニ44802
(←クモハユニ44004)
81−8−7 甲斐大島付近
クモハユニ44の中での異端児。
クモハユニ44803。
上記3両が低屋根化改造される際、大糸線に在籍していたクモハユニ44003は低屋根化されずクモハユニ44000と改番のみされ、1968年に身延線転属の時に後部に移すパンタグラフ部分のみ低屋根化されたため、1両のみ形態が異なっていた。
626M  81−8−1 富士
身延線新性能化のため投入された
115系2000番台(パンタ付きモハ114はパンタ付近のみ低屋根の2600番台)。
当初背中合わせのクハ2両にクモハモハを増結したような変則編成であった。編成中央でドア扱いができるようにするためと言われていた。

629M 115×4
81−8−7 久那土付近
229M(後追い) 115×3
87−3−2 竪堀
240M 115×3
87−3−2 竪堀


小田急1800形サヨナラ運転
81−7−12 多摩線黒川


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