南 部 信 号 所 
大船工場入出場列車は大船ー北鎌倉間にあるスイッチバックの南部信号所にて工場との受け渡しが行なわれていました。ここの作業は手間と時間がかかり、工場の作業員には一仕事ですが、撮影者にとっては2つの編成の到着・解結・出発といろいろなアングルを狙えるので、楽しい撮影地でした。入出場列車自体、混色・混結のものが多く、それにさらに入場の場合は工場の出迎え伴車、出場の場合は見送り伴車が連結された状態になるので、興味深い編成が頻繁に見られました。ただ、ここはあまり知られていなく撮影に来る人はごく一部の常連のみ(いつも3人程度)だったので何かが走るとなれば騒ぎになる昨今と違いゆっくり撮影が出来ました。もっとも、鉄道を趣味にしている人でも、こういう入出場列車を趣味対象にしている人自体少なく、その上運転情報を知らなければ撮影に来られないからでもありますが。本来ここは鉄道敷地内ですが、当時は今と違ってそのへんの所はうるさくありませんでした。信じがたい事ですが、当時ここはなんと入れ換え作業中でさえも線路内撮影が黙認という状態でした。昨今の時代ならば撮影者の行動がやり玉に挙げられる所ですが、お互いにこっちは次に車両がどう動くのか入れ換え手順が解っていたし、むこうもこっちがいつもの連中だと知っていたという状況があったのです(私がこの場所を知る以前からそうだった様です)。中には作業員からいろいろと情報を聞いている人さえいました。ここの解結作業は見ていても面白かったので、その手順を記してみたいと思います。

大船工場への引込み線南部信号所は線路配置上、入場の場合は横須賀線下り本線より入り、出場の場合は上り本線へと出る形となっています。上り本線からの直接の入場や下り本線への直接の出場は出来ず、大船駅で折り返す形をとっていました。入場の場合、まず大船駅方向から横須賀線を下り、湘南モノレールをアンダークロスするあたりで上り本線へと渡ったのち南部信号所の着発線へと入ってきます(1)。本線の運転手はここまでの乗務となります。少し遅れて大船工場から入れ換え作業員を乗せた出迎え伴車が到着します(2)。この伴車は1両の時もありますが大抵は2両で、主に帳簿上すでに廃車となっている工場機械扱いのものが使われていて、私の撮った写真の様にいろいろな車両がありました。工場へ送られてきたもののうち状態のいいものを使っているといった感じでした。
さて信号所に着いたところで出迎え車を入場列車の下り方へ連結するわけですが、本線との渡り線から合流ポイント背向側接触限界までの有効長が短かく5両分程度しかないため、入場編成が長い場合、列車到着時点で合流ポイントから前へ出てしまい出迎え車が前へ出れません。
そこで一旦入場編成を、出迎え車が前へ出れる位置まで後退させます(3)。その後、合流点の手動ポイントを切り換えて出迎え車が前方へと進みます(4)。
次に、 合流ポイントを再度切り換えて出迎え車がバックして、入場編成の先頭へと連結します(5)。
 編成全体を下り方引き上げ線へと移動させ、編成後部を合流ポイントからクリアさせます(6)。この引き上げ線は、編成が長い時は有効長いっぱいの状態となります。
 合流ポイントをまた切り換えて編成全体が工場へ向かう線路へと入ったところで一旦停止し(7)、合流ポイントを着発線(直線)側定位へと戻します。結局このポイントは列車の長短に係わらず4回切り換えることになります。これで作業が終わり、作業員が列車に乗り込んで工場へと向かいます(8)。出迎え車の連結位置が工場へ向かう編成の後方なのは、工場到着時の検査車両(廃車回送の場合は解体車両)の各作業線路への後方からの押し込み作業のし易さからと思われます。
 さて、今度は出場の場合ですが、工場からの伴車が見送りの形で連結されてきます。これにはパターンが2つあって、伴車が先頭の場合は、入場の時と完全に逆の動きとなります。
 編成が長い時は入場の時と同様に作業の工程数が増えます。見送り伴車を開放する為に一旦編成の先頭を本線への渡り線の先まで移動させ、出場編成の後部を合流ポイント背向側接触限界よりクリアさせます(2)。
 伴車を開放し工場への線路へ入った(3)後、出場編成の先頭が本線への渡り線の手前に来る位置まで後退させます(4)。
 出場編成は、本線の運転手がここで乗り込み横須賀線上り方向へと出発し(5)、見送り伴車は工場へと戻っていきます(6)。
 もう一つは伴車が後方に連結されて来る場合で、特に伴車が1両の場合によく見られました。
 この場合は合流ポイントへ入る前に先に伴車を開放し、出場編成のみを引き上げ線〜着発線へと移動させます(2)(3)。編成の長短に係わらず作業の工程数は変わらず、ポイントの切り換えも2回のみとなります。
この様に、ここの作業は見ているだけでも面白かったのですが、大船工場自体閉鎖され工場へ向かう線路もこの先の踏み切りで分断され、ここへ訪れる事もなくなってしまいました。写真を見るたびに当時が思い出されます。あの頃の様に興味深い編成が見られなくなってしまったのは、残念でなりません。


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